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陳 述 書  その3

大畑きぬ代


乙16号証について
1.O課長の果たしている役割
最後にO人事担当課長の陳述について述べます。彼は平成16年4月1日から、人事担当の課長として事件の後始末に当たっている立場です。中野区の服務の手引き(乙4号証の2)は、服務上の問題は、地方公務員法の規定を踏まえ、つぎの3点を基本として処理しなければならないとして、①合目的性 制度の趣旨、目的にあった解釈と運用 ② 合理性 常識的で、納得できる解釈と運用 ③厳正確実性 職員全員の公平な取り扱いと正確な事務処理をかかげています。しかしO課長の陳述を読むと「服務の手引き」が掲げる理念にしたがって公正に人事担当課長としての職務を追及するのではなく、その果たしている役割は、上層部の都合にただ従って、隠蔽工作の事務方としての役割をひたすら遂行しているとしか思えません。これでは協力させられている部下が可哀相です。

2.出勤簿の不正発覚の事情
O課長の陳述では、平成16年4月14日にNT参事の出勤簿が4月2日から空白になっていることを人事担当の職員が発見したことが不正打刻発覚のきっかけになったように言っています。現在はこれが中野区の公式見解になっています。しかしながら、大変おかしなことに、それが何故に2月16日からの一連の不正の発覚につながったのかを説明していません。人事担当課には総務から3月分の勤務状況報告書がきているのですから、この状況では人事担当は4月2日からNT参事が欠勤していると考えるのが常識だと思うのです。
実際の事情は、庁内の噂や資料の流出、相当正確な内部通報(甲26)などでもっと早くから内々では知られていたのです。それは4月1日にTY総務課長の後任となった総務部のHY総務担当参事が出勤簿の管理上の不作為について、なにも責任を問われていないことからも推測されます。彼が就任したときにはすでに相当程度事件が知られ、問題視されていたと考えるべきなのです。
IM総務部長聞き取り調査(甲35号証)には「4月第1週ぐらいになって、M係長を呼んで処理しなくてはならないので、書類を用意するように指示した」とされています。この調書は誰が作ったのか、ほかならぬO人事担当課長と服務係長が16年5月19日にIM総務部長に面接して作ったのです。さらにIM陳述では、4月14日(水曜日)には既にNT参事の自宅に電話し、出勤簿の処理と、給与の返還について話をするため、その週の土曜日か日曜日に自宅を訪問したいと伝えたと述べています。事件の発覚が4月14日では、つじつまを合わせるのは無理があり、陳述書に既に矛盾が生じています。
何故に事件の発覚を4月14日に遅らせなければならないかは推測できます。4月15日にNT参事になんと4月分給与(906,386円)が何の疑いもなく支払われているからです(乙6号証の1)。このような人事担当課のあまりにも杜撰な事務処理をやむを得なかったとするには、早くから知っていては困るのです。4月14日には4月分給与の支給が止められなかったという弁解なのです。

3.NT参事の病気は広く知られていた
O陳述では平成16年4月14日当時の事情として「唯一3月まで総務担当課長の職にあったTY区長室長(当時)だけが、NT参事が病気のため出勤できない状態であることを知っていました」と述べていますが、これはまったく事実に反する陳述で、すべてをTY個人の責めに帰し上部に責任を波及させまいとする意図的な発言と思われます。
中野区議会の定例会は平成16年2月19日に召集され3月25日に閉じられましたが、議会参与として特に予算委員会の総務分科会と総務委員会に出席する幹部職員は、助役と主に区長室と総務部の管理職です。したがってNT参事が病気のため出勤できない状態であることを助役以下出席管理職は皆が知っていたのです。
TY陳述に「総務部内の管理職や主だった係長などには口外しないことを前提にNTさんの病状を話し、復帰の受け入れに注意を払ってほしいと協力要請をしました」とあるように、とりわけ復職のいきさつをよく知っているU助役、IM部長、O課長の前任者のT人事課長、そしてNT参事の親友と目されるM財務課長など総務部の主だった管理職は、当時NTさんの病状をとても心配していました。TY課長だけが知っていたなどということではありません。人事担当課長があまりいい加減なことを言ってはいけません。
O課長自身も前職は区長室の管理職ですから、NT参事が出勤していれば当然出席していてしかるべき区議会の総務委員会などに出席しています。予算特別委員会7回、その総務分科会3回、総務委員会5回、そのいずれの委員会にもNT参事が出席していないことを知っていたはずです。

4.休職処分の決定文書の疑惑
偽装工作の目的は、不正打刻をなかったことにする、あくまで暫定的なものだとするのがねらいです。そのためには、実際は5月6日に行われたという休職処分の決定日を3月10日に繰り上げる必要がありました。最近でこそ遡及だと盛んに弁明していますが、最初は遡及云々ではなく、休暇をはさんで3月10日に休職処分が決定されたように偽装したのです。
その痕跡は休職処分の決済文書(乙3号証の1)に残されています。①区長が行うべき分限休職処分の決定を助役にやらせている。事案決定規程上もこれは助役に委任されていません。あえてそうしているのは、もし文書の偽装が明らかになったとき責任が区長に及ばないようにするためです。② 3月9日に処分が行われたことにするため、O課長の前任者のT前人事課長に押印させ、当時の課長が決定に関与したように偽装されている。③それだけでは足りずご丁寧にも決定後供覧の欄に5月には転勤して在職していないS主事に押印までさせている。いかにも決定日時を真実らしく見せかけるためでしょう。④反対に人事担当係長の欄には押印がされていない。これは何故かといえば、人事担当係長は文書の作成時点では監査事務局に異動しているから協力させにくかったのでしょう、不都合な人事をやったものです。

5.果たしてこれを遡及と呼べるのか
その後に、実際は5月6日に決定したが、3月10日に遡及できるのだという主張に転換しています。何故変わったのでしょうか。インターネット上で偽装工作が始まったことが告げられた(甲26)ことや、その後に住民監査請求をされた影響があるかも知れません。監査の場では3月10に決定したと主張するのは無理だと判断したからでしょう。添付された指定医師診断書の日付が5月1日で、5月から3ヶ月となっていたらしい休養を要する期間を後から3月1日から6ヶ月と訂正されているのですから、3月10日に決定したと主張するのは無理だと判断したのでしょう。
監査で遡及だと主張するには、決定文書に5月6日には人事課に在職していないはずの前人事課長やS主事の印があることが反対に邪魔になります、監査資料として提供された決済文書の写しでは、彼らの印は消されていると聞かされています。さすがに裁判所にはそのような文書は出せませんので当初の決済文書が提出されています(乙第3号証の1)これを果たして遡及というのでしょうか。遡及とは権限ある者によって決定され、正しい決定年月日が付された文書によって、決定された処分等の効力を遡らせることをいうのです。正当な権限のある者(この場合はO課長)が関与しないで決定した形式の文書に、遡った決定年月日を付してその日に決定したように見せかけ、本当はほぼ2ヶ月後に決定されたが、決済文書に記された決定日に遡って決定の効力を持たせているのだと主張しているのです。これを遡及と主張するのは根本のところでかなりの無理があります。

6.分限処分は厳格に運用され濫用されてはならない
分限処分は任命権者によって、公務員の身分を失わせる、あるいは職務の遂行能力を失わせる身分上の行為ですから厳しく運用される必要があります。病気休暇の後に行われることが多いのは事実ですが、法的には性格を異にすることは言うまでもないことです。公務員の身分の保証とも関係しますから、地方公務員法ではその手続き及び効果は条例に定めなければならないとしています。
中野区職員の分限に関する条例第3条第2項では職員を休職とする場合は、指定医師をしてあらかじめ診断を行わせなければならないとしているので、少なくとも診断日以前に遡及できないのは自明です。休職処分やその解除が任命権者によって濫用されるとすれば自治体に大きな弊害が生じます。それが職員の不利益に働く場合は勿論のことですが、職員の利益を図るためにも恣意的に運用されてはなりません。中野区の人事担当課長が分限処分の遡及は任命権者の判断の問題だなどと勝手な解釈をするのは困り者です。それは図らずも今回の「遡及」がNT参事の任命権者である中野区長による裁量的な判断だといっているのと同じです。

7.NT参事は総務課の「調整」に気づいていた 
O課長はさらにおかしなことを平気で陳述しています。「病気のため出勤できない職員が、所属の対応が十分でないにもかかわらずすべてに責任を取らなければならないのは、著しく合理性を欠く措置だと考えた」というのです。一般論はおくとして、この事件の場合のNT参事の行動にそのような救済的な考えを当てはめる余地はありません。彼は聞き取り調査に対して、勤怠の届け出をしていないことを認め、それにもかかわらず、総務課が何らかの調整をしていることは、給与を見れば推測できたと答えています(甲36号証)。
病状が良くなかったことに同情は禁じ得ませんが、NT参事は元職員課長であり、服務の手引きによって中野区の全職員を指導する立場にあったのです。それによって人事給与事務がどのように混乱するか、自分の経験に照らしても想像できたはずです。それを考慮すれば、言葉はきついのですがNT参事の立場は背信的といわざるを得ないのです。総務課のやっていることに気付きながら3か月にわたって身に覚えのない給与を受け取っていたのです。所属する総務部の適正な支援・指導がないというより、配慮に甘えていた、さらには暗黙の許容があると信じていたとの見方も可能です。

8.休暇の承認の手続きはあったのか
休暇の承認については当然に遡及できるものとしているが、監査委員が指摘していたように、休暇の事前承認の例外は真にやむを得ない場合のみに許されるのであり、欠勤が指摘され問題になってから実は休暇でしたというような処理は許されることではありません。人事担当課長が平然とこれを許容する発言をするなら、今後の中野区の服務規律はどうなるのかと危機感を覚えます。
IM部長の陳述の最後にも申し上げましたが、私は3ヶ月近くの手続きの遅れというよりも、そもそも2月16日から3月9日にわたる勤務日について、休暇の申請も承認もなかったのではないかと思っています。それというのも休職に関連する書類は証拠として積極的に提出されている(乙1号証〜乙7号証)にもかかわらず、この休暇については一切証拠が提出されていないと気付いたからです。休暇が申請されたとすれば、当然それは私事休暇ということでしょうから、①それは承認できるのか ②それを承認したのは誰かという疑問につながります。O陳述もそれに触れたくないようです。人事担当課長が給与の返還額の計算に当たって、休暇だったことにしたというのが真相ではないのでしょうか。
 なお、給与の返還について給与減額整理簿(乙6号証の1)を見ている中で新たな疑問が生じました。それは1日たりとも出勤していないNT参事に、いったんは支給された4月支給の給与906,386円の中に、通勤手当157,042円が含まれていることです。3月分の計算では28,402円ですから異常な金額に思えます。ここに通勤手当以外のものが紛れ込んでいる疑いがあります。O課長はじめ人事担当課の事務処理を信じてよいものか、あまりに疑惑が多いので一言申し添えておきます。

おわりに 
控訴人は審理が尽くされていないといいますが、一審の裁判所は証人喚問するまでもなく他の証拠で十分であるとされたのだと思っておりました。陳述を見る限りでは、これまでの主張の繰り返しで何も新しい証拠が提出されているわけではありません。また三つの陳述書の間に矛盾がありますし、これまでに提出された証拠の内容との整合性を欠くところがあります。彼らは証人として喚問されなかったことをむしろ喜ぶべきではなかったのかとさえ思っております。
私たちが中野区の中枢部で起きた幹部職員による不正事件に対して、中野区長を被告として住民監査請求を起こしたのは自分たちの個人的利益を追求するためではありません。中野区の幹部職員の不正な行為によって生じた、中野区の損害を中野区に返還させよと迫っているのです。それに対して区長が追求している「正義」とは一体何でしょうか。
区長はこの事件について区報等を通じて一度も区民に謝罪したことがありません。事件関係者を擁護して、私たち区民の請求に一向に応じようとしません。公判には毎回中野区役所の職員を動員し中野区の公費を使ってこれに対抗しています。何かが変です。心情的にはとても割り切れないものを感じております。

by ombudsnakano | 2007-03-27 20:31 | 中野区幹部職員の不正打刻事件  

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