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一審被告側準備書面に対する反論 ④

2−3 IM総務部長(当時)の責任
① 当時の総務課長の役割は当然のことながらN参事の上司でなく服務の監督者でもないのであって、たまたま総務部に所属することとなったN参事の出勤簿を職務として整理保管していたのである。総務課長が自己の職務の執行について上司である総務部長に相談することは十分ありうることであり、助役にN参事の病気休暇等の承認権等があったからといって、原審の認めた総務課長と総務部長の共同不法行為の成立に影響を及ぼすものではない。

② IM陳述は出勤簿管理規定をいかにも軽視した発言をしているが、出勤簿の整理保管者(総務部では総務課長)は毎月末に勤務状況報告書を総務部長に報告することが定められ、総務部長は必要があれば、出勤簿を提出させ、出勤状況の報告を求める権限を有しているのである。(甲54号証 中野区出勤簿管理規定第6条)。このような権限を有している総務部長が助言であれ、承認であれ一定の判断を示したのであれば、その影響は大きいと考えるべきである。

③ 平成18年12月27日のIM陳述(乙16号証)では、平成16年3月中旬にN参事の妻を見舞った自分の妻から「N参事は、医師から対応できる治療はすべて行った、今後の対応は考えたいといわれてから、精神的に落ち込み体調を崩し寝たきり状態になってしまったこと、奥さんの見舞いにもこられる状態ではないと・・・」聞いたことを陳述している。この様な情報に接すれば、当然のことながら、N参事が勤務しているとは考えるはずもなく、むしろ出勤簿や給与はどうなっているかと心配してしかるべきである。

④ またこの陳述では、「3月中旬頃総務部付けの特命参事から、課長はN参事のカードで打刻しているようだ」と耳打ちされたことを陳述している。それにもかかわらず調査させることもしていないのである。人事課の担当者に一言話せばすむことである。IM総務部長は少なくともこの時点でN参事の欠勤を知ることが出来たのであり、知っていて何らの行動もしなかったのは不自然である。

⑤ 「私はまだ手続きが済んでないのかとおもいました。暫定的処理がまだ続いているのかと心配しました」と弁解は見苦しい限りである。そもそも暫定処理などというものは制度としてない。この時点でN参事の欠勤が始まってから既に1ヶ月あまりも経過しているのである。総務部長の一連の行動は、その職責を果たしていないばかりか疑惑に満ちたものである。

2−4 IM陳述に同調するTY陳述の問題点
① 平成19年3月26日付けのTYこども家庭部長の陳述(乙22号証)もIMとの相談内容についてIM陳述にあわせて相談の趣旨がN参事のケガの後の処理であり、その後の判断は自身の独断で行ったかのように微妙に変化させている。しかし、N参事のケガの出勤簿上の処理については迷うことはまったくなく、制度的にIMが指示したという当面「出勤扱い」とする(甲34号証 本件に関わった経緯)必要などはないのである。公務災害云々はIMが自己弁護のために後から考えた弁解に過ぎないのである。実際上もN参事から送られてきた診断書をもとに病気休暇の処理がなされている。

② TY総務課長の当時の懸念は、「私としてはついに来るべきものが来た」とのべているように(乙18号証 9前段) このケガを契機に以前からの病状が悪化し、N参事が出勤できなくなるのではないかというところにある。ケガは大きなものではなく、病気休暇が取得できるのであって、以前からの病気が悪化した場合では病気休暇がとれず、その場合は休職の取り扱いになることを知っていてそれを心配したのである (乙18号証 8後段、甲31号証 本件にかかわった経緯)。それについて総務課長の立場は、N参事の上司でないことは勿論のこと、服務の監督者ではなく出勤簿の保管者であり、いわば連絡窓口なのであるから、独断で判断を下す立場にはない。N参事の欠勤について上司の総務部長に相談するのは必然の行動といえるのである。

③ TY総務課長(当時)の行った行為はN参事の無届による不参(つまりは欠勤)を知りながら、N参事の出勤簿平成16年2月16日に出勤の表示をして以来同年4月1日に最後の出勤表示をするまで約1ヶ月半にわたって日々続けられ、N参事があたかも毎朝出勤しているように偽装する根気の要る作業といわなければならない。出勤簿の管理を怠ったという不作為ではなく積極的な作為なのである。総務課長といえば区役所の中枢を形成する職であり、そのような苦労をする個人的な動機は見出しにくいのであって、組織的な意向をふまえて行われたと考えるのが合理的である。

④ 総務課長の行為は出勤簿上の偽装にとどまらないのであり、出勤簿の整理保管者として毎月末に勤務状況報告書を総務部長に報告する職責を負っているのである。その際、自分の休暇等によりNに変わって打刻できなかった出勤簿の空白を部下職員に補正させている。その上で2月の勤務状況を2月末に、3月の勤務情況を3月末に総務部長宛に報告している(甲37号証)。その結果として給与支給事務を担当する総務部人事課の判断を誤らせ、前月の欠勤による給与の減額が行われることなく(中野区職員の給与に関する条例第13条)不正な給与を支給させたのである。

⑤ 中野区出勤簿整理保管規定(乙21号証)には、暫定的な処理とか仮の出勤表示などというものはない。あえて仮の措置と考えられるのは、本人から届け出があるまで出勤簿を空白にしておくことではないかと考えられる。これを、積極的な不正打刻と勤務状況の報告を、いかにも手続きの遅れのように言いつくろうことは出来ないのである。しかもTY総務課長の行為は、部下職員に指示するなど組織的に行われており大胆に過ぎるのである。これを個人的な動機で行った非行であるとするには無理があり、組織的了解があったと見るべきである。

⑥ なお、同年4月1日部長級の区長室長に昇格したTY総務課長は、事件発覚後も降格などもされることなく、その職にとどまっていたのである。仮に本件のような事件を個人的な動機から、独断で引き起こしたとするならば、自治体の人事行政ではほとんどありえないことではなかろうか。事件の処理に当たって、中野区役所の区長、助役、総務部長、人事担当課長という人事ラインにほとんど怒りが感じられないのである。

⑦ 総務課長の行為は二つの目的をもって行われている。その一つはN参事の病気の悪化を認識した上で、直ちに休職処分とならないよう出勤しているように出勤簿を偽装することである。2月16日午前8時29分に、あらかじめ総務部長との相談結果に基づいて、なんらの躊躇もなくそれを始めているのである。(甲 号証拠 勤務一覧表)。二つ目は折角復職させたのであるから、当面在職していると同様の給与を保障することであった(甲32号証)。そしてその行為は4月1日まで続き、「4月は何がしかのお金が出ると思ったので、打刻は続けなかった」としている(甲32号証)。一定の役割を果たし終えたというべきであろうか。 

2−5 4月1日の総務委員会への報告等について
① 平成16年4月1日には、N参事が在職している(欠勤していない)ことを前提に、復職に伴う昇給と人事異動(総務部庁務担当参事から総務部特命担当参事への変更)が中野区長によって発令されているのである。これをすべて総務課長の独断に起因する間違いであったというのであれば、中野区役所は行政組織としての体をなしているとは言い難いのである。

② 平成15年4月1日の年度当初の総務委員会において、当時のU助役は同委員会の出席説明員である部長級職員の紹介をしているが、出席していないN参事については次のようにのべている。「なお、委員長から御紹介いただきましたように、N総務部参事は、きょう欠席をさせていただいております」。これは欠勤しているNについて、たまたま欠席している建前で紹介しているのであり、議会に対して虚偽の報告をしているのである。この席には、IM総務部長はじめ総務部の管理職が同席しており、区長室長に昇格したTY前総務課長もこれを平然と聞いているのである。O課長もこの席でN参事を含めた人事異動の報告を行っているのである。

〔証拠の提出〕 中野区議会総務委員会 会議記録 平成16年4月1日

by ombudsnakano | 2007-05-05 12:23 | 中野区幹部職員の不正打刻事件  

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